初代村瀬家の出身地を訪ねて①、岐阜県揖斐川町

我家のRootsは岐阜県揖斐郡揖斐川町の出身である。
1600年、関ヶ原の合戦で戦いに敗れた石田三成が逃げ込んだ『伊吹山地』の麓にある。大垣市から養老鉄道で15キロ北に登る。

杉林が生い茂る山間の麓に日吉神社がある。大正7年に我家の開拓の父(初代)が寄贈した石の鳥居ある。北海道の開拓に目処がつき揖斐川出身(上野地区)の竹中農場の先代など、開拓者が狛犬などを寄贈している。

 

明治末期に村瀬家先代は帯広に開拓入地して、芽室から鹿追に土地を求めて大正5年に定住した。
ここ北鹿追地区は天理教団体が東北、九州から開拓に入っており、母親の先代(天理教団体)も札幌農学校出身でアメリカ式農法を取り入れていた。当時は厳しい自然環境で冷害などにより農産物が収穫できず、夢破れて本州に帰る農家が続出していたそうである。
我ファームの土地に稲作もしていたようだが無理だったようで、食べるのにも困窮していたのでしょう。離農した畑を譲り受けて一時は200ha以上を大正から昭和初期の時代に耕作していたが、無理が祟り倒産したそうだ。そんななかで現在地だけは死守して営農していた。父親が子供の頃タンスなど家具に赤紙が張られていたことを覚えているそうだ。今から約100年前のことである。

農家を止めることは簡単だが、続けて営農できることは楽しいことであり大変なことでもある。
先代が苦労して開拓した土地を4代目の自分まで100年間守り、これからも守る責務を痛感する。
今年の営農計画を策定した時、先代が斧や鋸を持って柏の大木を切っている姿を想像して、私らも『頑張れネバ!』と感じている。

②に続く。(写真は以前に訪れた揖斐川町上野の日吉神社にて)

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